MORE THAN 1000 WORDS イスラエル報道写真家「1000の言葉よりも」ジブ・コーレン

このドキュメンタリー映画は、「真実とは何か?」「真実を伝える事とは何か?」さらには、「真実を知らない人々に、変化を生み出し、行動を起こさせるジャーナリズムの役割とは何か?」を示唆する、非常に優れた教材になり得ると僕は確信する。著作権へのライセンス料が安くはない可能性があるが、製作会社そのものが、「教育目的」として、低価格で許可するかもしれない。

主人公のジブ・コーレンはユダヤ人でイスラエルパレスチナの紛争を取材対象としているため、やはり過激な映像が流れる為、高校生の授業教材としては難しいかもしれない。だが、大学ならOKだろう。社会科学系、特にメディア論などを教えている大学では、必須教材のはずだ。
世界最高峰のフォト・ジャーナリズムの賞を多数受賞している写真家の行き方そのものを撮った映画だからだ。(ちなみに、MBAの大学を調べている際に初めて気付いたのだが、ジャーナリズムの最高の名誉であるピューリツッツァー賞の選考委員会は、アメリカのコロンビア大学ジャーナリズム学科だという事。最近これを知って驚いた。大学の研究科が、世界最高峰の賞を管理していたとは。)
報道写真家は、職業ではない、人生だ。

☆以下、ジブ・コーレン、その友のジャーナリスト、ジブの妻、新聞社編集者、イスラエル軍人、パレスチナ軍人などの言葉のメモ。


「24時間カメラを準備している。」

心で感じたものを、写真で伝えたい。

ただ真実を伝えるために、私は戦場に行く、

毎日記録すべきことがあるという信念で献身的に働いている。

ジブは人生を満喫している。
人生を謳歌している。

人生を愛している、

「母を失い、俺はもうこれ以上失うものはない」
「全面戦争だ、もう容赦はしない」

ジブは危険な場面で立ち回れる

事件が発生すれば、条件反射の様に入り込む。

弾丸が飛び交い人々が逃げ惑うような混乱した状態の中へ
ジブは入り込んでいける。

湧き上がる感情を殺さなくてはいけない。

事件が発生して、最初お5−10分が勝負だ。
それ以降は、入れなくなる。

体の破片が転がる現場は悲惨だ。
朝刊の写真では使えない光景が転がっている。
踊りに繰り出していたたひとびとが一瞬にして吹っ飛ばされた。
その惨状を見たら普通に仕事はできない。

「犠牲者に知人がいないように。」「遺体袋に包まれていないように」

報道写真家仕事はの代償を伴う。
見てしまったものの代償は大きい。

感受性の封印も必要だ。
個人の人生に関わる覚悟が必要だ。

「人間尾適応能力は優れている。
状況が悪化しても、それに慣れてしまえる。」

和平への道は遠く、紛争が終わる気配もない。
この天国への階段は、何段あるのか。。。
深刻化するばかりだ。

「ジブはねじれた現実を記録している。
作っているわけじゃない。
人々は言いつに我慢できないところまできている。
もう限界よ。
人間の悲惨な面を見ようとする神経がわからない。
子どもを持ったいま、わたしはかかわりたくないわ。」 

ジブが避けている道がある。
「俺はあそこで肉の切れ端を見た。」
1994年のテルアビブでの自爆テロだ。
人生最大の衝撃的な事件だったといえる。

ドイツstern(シュテルン誌)の表紙にも。

裂けたバスの中に遺体が転がっていた
地獄とは、あのことだ。
死体からまだ炎が出ていた。
死体から上がる煙のでいで息苦しかった。
そのあとなにも見えなくなった。
自動シャッターに切り替えた。次の数分を予測してね。
写真を取りまくることになると解っていた。

友人が映像を撮っていた。
バスの中をズームで撮影し始めると、、、、

気絶した。


私はもうそこにはいられなかった。
事務所に戻った私は、ゾンビ状態になっていた。
呆然自失だよ。

私を含めあの現場にいた警官、救助隊員など全員がセラピーを受けたよ。トラウマ
になったものは心理療法で治療した。

ずっと、どこに立っても何を見たか思い出せる。
10年後、現場へ戻り、完結させたかった。
だが、まばたきするたびに死体が見える。
数週間続いた。
寝袋をみると、死体だと思った。

ジブは現場に着いた最初のカメラマンだった。
世界の賞を彼は総ナメにした。
爆発の衝撃の大きさを語っているその写真は今でも使われ続けている。

TIME誌表紙
"MAKING WAR OIN PEACE"

死んだ自国民の写真を自国の新聞に掲載した。
イスラエル報道史でも際立った事だった。

新聞の読者は、耐えられなかった。

多くの悲劇的な写真を見たために、「同情疲れ」というものもある。
そのため、新聞紙や雑誌は 衝撃的な写真を載せない傾向にある。
だが、それは間違っている。
死んだ人の写真を乗せる必要がある。
「その人の死を無駄にしないために」

その後、2001フランスでの世界報道写真展
終了後、ジブの仲間ナマナカラはNYへ。

翌日、

9.11.。

ナマナカラが崩壊した
現場で見つけた一枚のポストカード。

世界貿易センタービル最上階で売られている土産ポストカード
「1993年にテロ攻撃を受けてもなお WTCはニューヨークの空に
そびえ立つ」

「ジブの様に、家庭を持って世界を飛び回る写真家を
他に知らないわ。かれは家族で食べる夕食より、歴史的瞬間の方が
大事なんです。私が沈んでいる事よりも、外の出来事が大事なんだわ。
妊娠中の私より、肢を失った人の方が大事」

ー足を失ったルアイの履いていた靴の写真ー
ルアイ「入隊時慎重90cm,除隊時100cm」

「軽症でも、人生を台無しにしてしまう。
家族の人生をも代えてしまうんだ。」

その想いから、ジブはプロジェクトを立ち上げた。

長期のプロジェクトでは、徐々に熟成される何か、が起こる
ことがある。
被写体と長く過ごすほど、伝えたい真実の瞬間の撮影が可能になる。
被写体が、カメラを意識しなくなることだ。
自然な表情を撮れる。

「7000人の負傷者」と聞けば、当然驚く。
しかし「5人の負傷者」では、「5人で済んだ」と安心し、詳細を知ろうとしない。
しかし、5人が一生回復できず寝たきりだったり、両肢を失ったら?
また、回復まで何年もかかるとしたら?

それを伝える必要が合ったんだ。

イスラエル政府は終に悟った。
「戦争の勝敗は戦闘ではなく、世論で決まる」

パレスチナの街に挟まれたモラグ入植地は厄介だ。
ユダヤ人にとっては一番危険な場所だ。

ガザ地区からの退去命令後、
イスラエルに従軍しての撮影

従軍しては、撮影には不利な事もある。
だがライバルを出し抜くには仕方ない事だ。
良い写真は誰でも取れる。だが、特ダネが必要だ。

写真家アレックス・ウェブ
「身近な事に関心を持ち続ける事は難しい。」
だが、刺激に満ちていたのは、

東京

「人ごみ、すべての動きが早くて刺激的だ。」
個展開催

☆「私の仕事を定義するのは難しい。
紛争が子どもや社会に与える影響が心配だから。
我々は、なんと激しやすく、気が短いのか。
生き方や人との接し方にそれが影響する。
私の写真は そんな人々にメッセージを伝える事」