「未来を写した子どもたち」インド映画 ジャーナリズムを市民・子どもたちの手に。「こどもたちからの民主主義」

「未来を写した子どもたち」
この映画は、インドのカルカッタの売春窟で暮らす子供たちを見つめたドキュメンタリー映画(7/2にレンタル開始されたばかりの映画。URL:http://www.mirai-kodomo.net/ )。

先日の「闇の子どもたち」に続いて、生れ落ちた境遇が酷い貧困状態であるために体を売ることを運命づけられた子どもたちとその家族の生き方の生々しい現実を描いている。つまり、生まれながらに「奴隷」となることを運命付けられたこどもたちの現実である。やはり、貧困と人身売買の相関関係は大きいと思わざるをえない。

この映画は一言で言うと、「子どもたちのジャーナリスト化」で貧困に生きる生活を変えられる可能性を示唆している。僕にはそう思えた。

先進国・途上国問わず、僕らは人間の生活の表も裏も、美しい部分も醜い部分も、知る必要がある。特に、情報は、報道業界によって資本の論理で歪められる事が多い。だからこそ、「真実」を伝える重要性は常に高い価値を持つ。この役割を果たすのがジャーナリストだが、この映画の通り、外部から来た人間より、その地域に生まれ、生きている人たち、中でも子どもたちの無邪気な姿の方が、スラムや売春屈など危険な地域での撮影は自由に行う事ができ、真実に肉薄できるだろう。大人が撮ると、被写体は警戒するからだ。そんな当たり前な事に改めて気付かされた。

たとえ貧困国で教育を受けていずに文字が読めない子どもにとっても、カメラは現実、更には真実を伝える強力な手段になり得る。カメラ一つで、真実を広い世界とシェアできる権利を持つ事になるのではないか。これは、貧困のまま一生奴隷のような生活を強いられる地獄から子どもたちを救える一筋の希望になりうるのではないか。映画ではデジタルカメラではなかったが、もし仮にデジタルカメラであったなら、英語教育の行われているインドでは、(もっとも、貧困ゆえに学校に行けず読み書きできない子ども多いが)インターネットがあれば、それこそ本当にこども一人ひとりが一人前のジャーナリストになれる。これで社会の不条理を世界とシェアし、開発援助を受ける機会を自ら向上させられるかもしれない。若しくは、世界の一流の新聞社などに写真を売ることもできうる。

ここで見えてくるのは、貧困国でのカメラの民主化ではないか。実際に世界のカメラの需要はデジタル化に大きくシフトチェンジしていくのは必至だが、これまでのカメラは市場から消えるのではなく、貧困層向け(BOP:ボトムオブピラミッド)として新たな活路を見出せるのではないか?つまり、カメラ会社にもWINとなる。


それにしても、子どもたちの創造力はすごい。自然や生活にあるものの中から遊ぶ対象を考え出して自分たちで作り上げてしまう。この子どもたちの「創造力」は、神からの贈り物だろう。ジャーナリズムという固い言葉ではなく、子どもたちが好奇心に任せて撮った写真。これこそが、真実だろう。たとえ人が大人になろうとも、子どもが子どもらしく生きられる権利を踏みにじる事は許されない。なぜなら、子どもはみな生れ落ちる境遇も、親も、時代も選ぶことができず、また今は大人になったすべてのひとも、昔は子どもだったからだ。

さて、最後に、映画の中の美しいフレーズを。

「カメラってすごいよね。誰かが死んだりいなくなってしまっても、写真さえ撮ってあれば一生会うことができるんだ」


★この映画のHPからのリンク
◇キッズ・ウイズ・カメラズ
http://www.kids-with-cameras.org
サウンドトラックCD発売:ビクターエンタテインメント
http://www.jvcmusic.co.jp/
◇ポストカードブック発売:朝日新聞出版
http://publications.asahi.com/index.shtml
特定非営利活動法人 ACE
http://acejapan.org/
特定非営利活動法人 シャプラニール=市民による海外協力の会
http://www.shaplaneer.org/
カトリック中央協議会広報
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/
セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン
http://www.savechildren.or.jp/
◇STUDIO FUMI アミプロジェクト
http://www.amiproject.net