北欧の経済教育・金融教育、資本主義を超える新たな潮流、ワクチン債、茶道の世界、芸術を市民の手にetc

最近の面白い気付きについて。。。

1.北欧の教育ー小学校からの経済・金融教育ーサンデープロジェクト大前研一氏の書物の記事より。
北欧は、人口が少ないので、子供の幼少期より、外国人とビジネスでリーダーシップを取れる経済感覚を持てるような教育方法を実施しているという。この積み重ねで、現在の経済・教育・生活・福祉大国に至るという。日本もこの分野の教育を進めていく必要がある。行政がやらないのなら、民間にとって巨大なマーケットになる。

2.資本主義を超える「公益資本主義」ーソーシャルベンチャーの時代ーこの分野専門のベンチャーキャピタルを立ち上げるプランー21世紀の社会変革・経済成長の牽引役、たとえばアショカ財団(http://www.ashoka.org/、代表:社会起業家の父、ビル・ドレイトン)ような民間セクターが運営する財団や、公共性が高い分野でもあるので、民間財団と市町村、都道府県などの地方自治体とのハイブリッド型、若しくは民間財団と国家とのハイブリッド型財団が出資母体となって社会起業家の創設に資金面で協力していく流れができてくるだろう。

3.Lvinig in Peace 講演会よりー民間セクターの金融機能を人道支援に利用ーワクチン債と医療系人道支援NGOとの機能分化
医療分野で活躍する世界的GOは多数存在する。ノーベル平和賞を受賞した「国境なき医師団」なども「ワクチンの為の寄付を」との封筒を送ってきたのを覚えている。しかし、先日の「ワクチン債」の手法で、完全に答えは出た個々のNGOが資金集めをしたところで、全く焼け石に水だ。この努力を個別に行うコストを、「ワクチン債」にアウトソースすべきではないか、と。「1500円で20人の子供に予防接種ができます」なんて、個別にドナーを募ったって、「ワクチン債」に比した効果は悲しいほど低い。
多くのNGO、NPOの組織運営が持続可能性を失っている理由は、寄付金へ過度な依存からきている、と伊勢崎賢治氏の本で詳細に書いてあった。「NGOとはなにか」だ。いくら人道支援でも、その組織自体が持続可能な経済主体でなければ、寄付金依存という脆弱な存立基盤で、常に破滅の危機にさらされていることになる。

今や、いくら人道性・公共性の高いNGO、NPOであっても、グラミン銀行のような自己組織で利益を上げて自ら「持続可能力」を持つ、社会企業への変貌を遂げる時期に来ている。若しくは、「ワクチン債」や、ファンドとして金融商品の形で、広く資金を集める手法をとる必要がある。

この「ワクチン債」は、途上国への他の医療商品への応用できる原型になるのではないかと思う。「貧困削減」のために、マイクロクレジットの手法が非常に有効だと思っていたが、それだけではない。医療分野の「未病」という考え方である。これは、病気になって事後的に治療するのに必要な多大なコストを、未然に公衆衛生・保健の分野に投資する事により、社会的なコストを削減し、健康な人の絶対数を増やし、「労働力」として社会全体の経済活動を活性化させ生産性を高める、という考え方である。国を問わず財政的に危機に陥っている自治体が多いからこそ、この「未病」の考え方は社会的コスト削減策として取り入れられる価値があるのではないか。特に途上国の人々の栄養不足を補う「サプリメント債」や「安全な水への浄化債」などなど。他にも「未病」分野の「債券」を扱う金融商品の市場は限りなく広いと思う。

4.日本の伝統文化「お茶」「茶道」から見える日本文化
初めて本格的な抹茶を頂いた。お湯の温度が高すぎると苦味が強くなり、ちょうどよいのは70度くらいだという。70度くらいだと、苦味がだいぶまろやかな甘みに変わってくる。

この多少の甘味を含んだ苦さを残す抹茶を飲むと、より甘味のある和菓子が食べたくなる。そこで、抹茶と和菓子を共に食する事になる。だが、和菓子には非常に奥深い世界がある。四季・季節に合わせた素材・色彩を意識した物が作られる。美味しい一杯の抹茶が彩り豊かな和菓子を呼び、その和菓子の美しさを演出するために、美しい和菓子皿や茶器を呼ぶ。そして、それらを食する人の意識も、お茶・和菓子・食器・茶器に劣らないような美しい着物を着て、美しい作法で「お茶」と向き合う、一つの世界観が自然と形成されていくのが感じられる。また、お茶を飲む「和室」のつくりや、お花を生ける、生きた世界の「空間作り」への意識が、たった一杯のお茶という存在を中心にして、体の中から呼び出されるのがわかる。

正直言って、このようなたった一杯の「お茶」という存在が、四季の色彩を模した和菓子、美しい器、着物、生け花、茶道の礼儀、和室の空間など、一つの世界観を形成する引力をもっているとは、全く知らなかった。また、お茶を取り巻くすべてのものは、十五、六世紀の千利休の前、鎌倉時代を起源とするという。とすれば、この「お茶」を伝統文化に沿った形で頂く事は、現在まで脈々と受け継がれてきた日本の伝統文化そのものを、また伝統という「時」の流れを、体内に取り込む魔法のような文化だろう。実際、抹茶は色、味ともに非常に濃厚なため、体でそのゆっくりとした時の重みをも体感させてくれる。

抹茶には、飲む人だけでなく、和菓子や食器、生け花、着物、作法や和室のつくりなど、人以外のものをも素晴らしいものもで向き合いたいと思わせる、強い引力を感じさせる力があった。部屋という空間全体に、メッセージを発して、生きる空間へと変えて、お茶以外のものと、互いに共鳴しあっている、洗練された空気と空間を織り成す、魔法の「飲み物」だった。

5.クラシックが聴けるカフェ・レストラン・バーの展開の可能性
恵比寿にて。最高のリラックス空間。これをオフィス街のランチで味わえたら、ストレスフリーになって午後の仕事も頑張れる。けど、丸の内や有楽町以外、たとえば田町や浜松町で、ないのが辛い。市場性は見込めると思うのだが。「芸術を、もっと市民の手に」岡本太郎が言っていた。敷居の高い「芸術」を、日常生活に呼び戻す。食の空間、学校、病院、駅などと芸術とのコラボは、芸術のほうからもっと歩みでないといけない。「芸術家は一流になる以外には、飯を食えない。」とは、今までの価値観では?もっと積極的に公共性のある場や産業界などへ、敷居の高かった場所から降りてきてくれれば、不況で沈んだ雰囲気の日本の活力源になるのでは。

6.「経済民主主義」の復権ソフトの開発
=「   表」の自動「  」変換化ソフト(多言語への変換・翻訳も含む)
これは一般企業、行政、NPOやNGO、財団などののお金の集め方・使われ方を考える上で非常に有効であり、また経済・金融・税金教育効果の高いソフトになる。
「  」リテラシーを小学校から。
そして、これは日本以外でも需要は非常に多いはず。
これは今までの市民生活と経済活動の大きく変革をもたらす。
これも5.の様に、「経済をもっと市民の手に」戻せる偉大なツールだ。
これをプログラミングできて、特許で固めたら、多くの資金を集められる可能性がある。
今後、どのように実行に映していけばいいのか、考え中。