ネパール ムスタン物語と学校建設

最近読んだ本で感動したものが数冊あります。
①秘境に虹をかけた男 ネパール ムスタン物語 近藤亨
②「南」からの国際協力 バングラデシュ グラミン銀行の挑戦 渡辺龍也著
③こうして僕は世界を変えるために一歩を踏み出した 丸山昌也 NPOテラ・ルネッサンス理事長
④決断力と先見力を高める 心に響く名経営者の言葉 ビジネス哲学研究会編著

特に、①は、僕の夢の一つである、「ネパール等の発展途上国に学校を建てる」という夢を実現させた方の話なので、非常に勉強になりました。この著者の生き方、人生哲学は本当に立派で、まさに人格者そのものです。本という間接的な媒体ですが、僕の生きかたを変えてくれる一冊となりました。できれば、近藤さんの運営するNPOネパール・ムスタン地域開発協力会(http://www.mdsa.info/)の方に直接コンタクトをとってお話を伺えれば、僕の夢の実現へのモチベーションも本当に高められると思います。

本書のなかで近藤さんも書かれていますが、僕が学校建設、特に初等教育施設の必要性を感じているのは、以下の理由からです。
文字の読み書きができない途上国の子供たちは、自国では仕事が少ない為他国に出稼ぎに行きますが、読み書ができない場合、どこへ行っても肉体的な重労働に従事する事になります。特に最近では女性は悪質の仕事斡旋業者の甘い誘惑にのせられて性産業へと売られ、エイズにかかって地元に帰っても差別され、家の中に入れてもらえず物置小屋でひっそりと暮らし病に徐々に侵されながら人生の幕を閉じるという話が多いそうです。このような悲劇を防ぐには、教育というシステムが最も有効だと僕は考えています。


さて、近藤さんのすごさをここでご紹介します。(wikipediaより)
近藤 亨(こんどう とおる、1921年 - )は、ネパールにおいて世界最高地の稲作に成功したことで知られる農学者。ネパール・ムスタン地域開発協力会理事長。

1921年新潟県に生まれる。新潟大学農学部助教授を経て新潟県園芸試験場の研究員となり、1976年には国際協力事業団 (JICA) から植樹栽培専門家としてネパールに派遣される。それ以来、ネパールのために尽力する。JICAを辞めた後もネパール・ムスタン地域開発協力会 (MDSA)の理事長として、現地ムスタンに留まり、果樹栽培の指導や、小学校や病院などを建設し、ネパールの秘境で地元の人たちのために、80歳を過ぎた現在でも活躍している。特に、1998年10月、標高2750mのネパール・ムスタン・ティニ村で世界最高地の稲作に成功し、ネパール各方面より多大なる賞讃を集めている。

新潟県立農林専門学校(現・新潟大学農学部)卒業。
新潟大学農学部助教授を経て、新潟県園芸試験場の研究員となる。
1976年 国際協力事業団 (JICA)の果樹栽培専門家としてネパールへ、以後十数年間にわたり、ネパールのために尽力する。
1991年(平成3年) 後発開発途上国ネパールの中で各国の支援活動、辺境・ムスタン地域住民の自立に寄与するべく、ネパール・ムスタン地域開発協力会 (MDSA)を任意団体として発足。
1998年10月 標高2750mのネパール・ムスタン・ティニ村で世界最高地の稲作に成功。
2003年4月、特定非営利活動法人(NPO) ネパール・ムスタン地域開発協力会設立、現在、ムスタン・ガミ村(標高3600m)の高地に病院を建設。病院運営に邁進中。

主な受賞歴
ネパール
国王勳二等勲章(1997年) 
政府・シルバー勲章(1997年)
園芸学会特別功労賞(1998年)
日本 
外務省国際協力賞(1996年)
吉川英治文化賞(1999年)
毎日国際協力賞(1999年)  
新潟日報文化賞(2001年)
売国際協力賞(2001年) 
米百俵特別賞(2003年)
地球倫理推進賞(2006年)
安吾賞新潟市特別賞(2008年)

僕が去年旅したネパールのポカラの孤児院のこどもたちが気になります。

昨日、そのポカラの孤児院の理事長Goma Dahakalさんから、あるメールが届きました。
支援しなくてはいけない孤児が増えるので孤児院の部屋の増築とベッドを増やす為、僕の知り合いに声をかけて、少しずつでもよいので支援金を増やしてほしい、という事でした。今は1つのベッドに3人の子供が身を寄せ合って寝ているとのことでした。今後の僕の課題はこの点と、先日のブログにあるようにマイクロクレジットの実行計画を立てることです。

支援の方法を考え直さなくてはいけない時に来ています。
ご妙案がおありの方は、ご連絡ください。